過去の恥ずかしいお話

日記

実を言うと私は物忘れが酷いというのか、

過去の事をあまり覚えていないのです。

自己分析のため、子供の頃の事を思い出してみたんです。

私は非常に貧しい家庭で育ちました。

子供の頃、ある事情で家を失い、私だけ親戚の家にお世話になってました。

その親戚には自分の子のように可愛がっていただき、

何不自由なく生活させていただきました。

今でも人生最大の恩人と思っています。

ほどなくして、両親と新しい家での生活が始まりました。

状況は一変、極貧生活で電気代や電話代にも困っていました。

月明りが有難い夜も多々ありました。

友人が私の家に電話すると、「お客様の都合により・・・」という

あの恥ずかしい音声メッセージが聞こえてくるという始末。

今だから言えますが、家に水道の蛇口はあっても水が出ない状態でした。

水道を引くお金が無かったんです。では水はどうしていたか?

恩人の家で毎日ポリタンク数個に水を汲ませていただいてました。

お風呂は数日に1回、恩人宅で入らせていただいてたんですが、

ある夜、父が僕に「タオルを持て」と言い二人きりで近くの川に向かいました。

真っ暗な夜の川で楽しいお風呂・・・という経験もしたわけですが、

当時、家庭内事情もボロボロでしたので考え方によってはあの時・・・。

ちゃんと生きていますから、笑い話のネタですよ。

あとね、今でも忘れられないのが、高校のホームルームの時間に

私だけ名前を呼ばれ封筒を渡される事がしばしばありました。

ほぼ私だけなので皆に不思議そうに見られるわけです。

授業料の催促の案内です。最初は「払い忘れてたみたい」で済むんですよ。

でも、それがあまりにも毎回続いてくると

周りの同級生の気遣いが感じ取れるんですよ。

それが何とも言えない気持ちになるんですよ・・・。

まだ笑いのネタにするコミュ力もありませんでしたし。

だからいつも「今月は名前呼ばれないかなぁ」とかドキドキしてました。

そんなこんなもあって、私は昔から他人の目線だけを気にして生きてきました。

異常なまでに「どうしたら恥ずかしくないか」だけを考えて生きてきました。

だからごく普通の事を覚えていないのかなと思うんです。

ただ歳のせいと言えば、そうなのか?

それとも3歳の時、2階の鉄筋階段から落ちて頭に13針縫う衝撃を受けたからか?

とにかく同級生の友人たちよりも明らかに過去を覚えていないんですよ。

恥ずかしさのあまり、脳が勝手にメモリーを消しているのかもね。

でも恥ずかしい過去も良い事もあるんですよ。

自分が経験した事で子供たちに同じ思いをさせないように頑張れましたから。

なにより笑い話のネタになるんでね。

今後は日記を付ける事で思い出を残していこうかと思います。

ということで、今回の画像も写真の日付から

天橋立へ行った時のお宝丼という事が判明しました。

妻と自転車で潮風を感じながら散策したのを覚えています。

妻には怒られるかもしれませんが、

日付と前後の写真が無ければ思い出せなかったかも・・・

でもちゃんとケーブルカーやリフトに乗ったのも覚えてるし、

観光案内人にお勧めを聞いて「成相山パノラマ展望台」に行き、

かわらけ投げをしたのも覚えている。楽しかったよ。

その他に写真は今もグルメ日記用に取り溜めてあるんですが、

店の写真とかが無いものは思い出せない物もあるんですよね。

思い出した時の爽快感を求めて、あらゆる手段を使って思い出していきたいと思います。

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