大学受験

日記

僕は高校卒業時の事をあまり覚えていない。

卒業後の進路の事や就職の事を親や先生と話した記憶もない。

わずかに覚えている事だけでも記録に残しておこうと思う。

僕には育ての父(恩人)がいる。

いつだったか恩人に聞かれたことがある。

「おまえは将来何になりたい?やりたい事はないのか?」

僕は数学の先生的な事を答えたらしい。

確かに中学までは数学には自信があった。

高校時代、トップレベルの国立大学を受験するような人間に

テストの順位で唯一勝った事があるのが数学だった。

本当に1回キリだったが・・・。

(ここからの話は現役時代なのか卒業後なのかハッキリ覚えていないが)

現役時代も家にお金がないのはわかっていたから、

大学へ行くなら実家から通える国立大学しか無理だと思っていた。

当然そんな学力はなかったが、一応ダメ元で受けたような気がする。

国立大学なら落ちても恥ずかしくないと思っていた。

しかし落ちると思っていても、わずかに奇跡でも期待していたのだろう。

合格番号の張り出しに自分の番号がなかった帰り道の虚しさを覚えている。

そこで人生初めての挫折を味わったと思う。

それまで試験という試験で落ちたのは、

体育のバレーボールのサーブの試験だけだった。

僕は運動神経には自信があり、どんなスポーツでもそれなりにこなす事ができたが、

バレーのサーブだけはコツが分からず、追試はアンダーサーブで合格した。

手も痛いしバレーは嫌いだ・・・。(バレーファンの方、ごめんなさい)

受験に話を戻そう。

おそらく担任に結果報告をしたような気がするから受験はした可能性が高い。

確か担任から友人Rも進路未定だと聞かされた覚えがある。1年後だったかな・・・?

とにかく記憶が曖昧なのだが、就職の話は全くした覚えがない。

まさか受験失敗のショックで頭が真っ白にでもなったのか?

思い出せないから先に進もう。

高校卒業後は浪人という名目の新たな生活スタイルになった。

たまにバイトもしていたが、バイトの話はまた今度にしよう。

そして浪人仲間というべきか、中学の同級生二人と一緒につるんでいた。

3人とも浪人生という名目だったが、実際はプータロー3人衆だった。

ほぼ毎日パチンコ屋で顔を合わせていたのだ。

友人Hはバイトすらしたことが無く、本物のパチプロだったように思う。

友人Tはパチは負けていたのか、バイトに行く事が多かった。

僕はパチンコの収入が8~9割くらいだった。

競輪、競艇、麻雀、バイク、ビリヤード、ボーリング、釣り、漫画、ゲーム、

将来の事など一切考えず、とにかく好き放題遊んでいた。

もう受験の事など考えもしなかった。

1年ちょっと経った頃だったか、友人Tが受験しようと言い出した。

ダラダラした生活に少し飽きてきたのもあったのか、誰かに説得されたのか、

この時初めて将来の事について少し考え始めたと思う。

その言葉に乗って僕と友人Hも受験をすることにした。

ちゃんと区切りをつけて諦めたかったんだと思う。

それまでの生活とは変わって、それぞれ自宅で机に向かうようになった。

1週間くらい後だったか?友人Tが僕の家に訪ねてきた。

言い出しっぺのTはリタイヤした・・・(笑)

Hとはたまにお互いの家で勉強したりした。

3人とも勉強の邪魔にならないよう気を遣いながら、会う頻度も減っていった。

半年ぐらい頑張っただろうか?

僕は近場の国立大学A、受かる可能性のある国立大学B、私立大学Cを受験した。

結果は私立大学Cのみ合格だった。この結果は後に大事件となる・・・。

とにかくこの2年間は色々な経験をした。

人生で最も特別な2年間だった。

そして次のステージへ・・・。

写真のラーメンは友人Tがバイトをしていた事がある

「天理スタミナラーメン」の

スタミナチャーシューと夜鳴きチャーシューだ。

スタミナラーメンは昔からの醤油ベースの豚骨ピリ辛のスープ。

白菜がメインで野菜たっぷり。大盛だったか?チャーシューもいっぱいだ。

夜鳴きラーメンは辛さが無く、あっさりした豚骨ラーメンだ。

写真の撮り方が下手でチャーシューが沈んでいるのが申し訳ない。

味は変わらず美味しかったが、店内はリニューアルされてて綺麗になっていた。

今は当たり前の食券制になっていて、

時は流れているなあとしみじみ思った夜だった。

店内に「人手不足なので遅くなるのはゴメンね」的な張り紙もあった。

自分が歳を取ると色んな事が想像できてしまうのが辛い。

無理しない程度に続けてほしいと思う。

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