学生時代、僕にはなりたい職業などありませんでした。
高校受験の時は機械などの工業系に興味はあったのですが、
恩人の方に「お前は進学校へ行けるんだから行った方が良い」
と言われ、進学校へ行きました。
高校へ入ると新たな環境に馴染めず緊張していました。
あの最初のクラスが打ち解けていないシーンとした空気の中、
まず学力確認のためか、すぐテストがありました。
僕は最初のテストで失敗してしまいます。
隣のヤンキー君が周囲に点数を聞いて回ってたのですが、
さすが進学校だけあってレベルが高く、僕が最低くらいだったのです。
初めての経験で恥ずかしさでいっぱいでした。
そうなるとさらに緊張感が増しました。
進学校では今までとは違い、予習・復習が当たり前でした。
英語なんかは予習をしていないと授業についていけませんでした。
得意だったはずの数学でさえ、ついていけませんでした。
(これは後に講師の影響もあったと判明しましたが)
定期テストの前でもないのに、休み時間に勉強の話をしていたり、
授業中の難しい問題でも、自分以外の生徒は答えられているような気がして、
自分が場違いな気持ちになり、萎縮してしまいました。
そんな雰囲気に飲まれ、最初からつまづいてしまったのです。
そしてもう一つ、この頃の僕は人見知りで、
自分から知らない人に話しかける事ができませんでした。
僕の住んでいた地域は小中一貫校のようなもので、
同級生はみんな保育園の頃からよく知っているメンバーばかりでした。
だからクラスの周りが知らない人ばかりの環境に馴染めなかったのです。
馴染めるようになったきっかけは、同じテニス部の子が
一緒に弁当を食べようと誘ってくれたことです。
ある時、僕が弁当を忘れた事が周りに伝わると、
話した事もないクラスメイト達が、自主的に一品ずつおかずを分けてくれたのです。
惨めな気持ちがある一方、人間の優しさを感じた最高の出来事でした。
そこからは、少し気持ちが楽になりました。
一方、放課後は遅くまで部活動をしていました。
今だから言えますが、友達付き合いで嫌々していました。
真面目にやって失敗する事がカッコ悪いと思ってましたので、
上達もせず、試合にも負けてばかりでした。
何も誇れるものが無い僕の唯一の楽しみはテレビゲームでした。
時間の限りゲームの世界に現実逃避していました。
定期テストの前も進学校の生徒なら普通勉強するのでしょうが、
僕はゲームセンターが止められませんでした。
ついたあだ名は「ゲーセンキング」でした。
若い頃によくあるヤンキーに憧れたのもこの時期でした。
服装は短ランにボンタン。
でも気は小さかったので殴り合いの喧嘩などはできませんでした。
学年が上がった頃、バカを認めた方が楽になれると思い、勉強を諦めました。
寝坊して学校ををサボったり、授業中に寝たふりや早弁。
話のネタや成績が悪かった言い訳を作っていたのです。
一方でプレッシャーから解放されたためか、性格は明るくなりました。
すると誰とでも話せるようになり、友達も増えました。
成績は底辺でしたが学校は楽しかったです。
3年生になるとみんなの雰囲気もガラッと変わりました。
今まで一緒にバカをやってきた友達も受験勉強をしだしました。
何も考えていない僕は取り残されている気がしました。
この頃でも家庭環境の恥ずかしさを隠す事が
僕にとっては最優先事項だったのかもしれません。
今考えるとつまらない事に執着していたと後悔しています。
もっと普通の家庭に生まれていたら・・・と考える事もありましたが、
周りの環境のせいにしたところで何も変わらない事を知りました。
そう、自分で動き出さなきゃ人生は変わらない。
人生は自分で作る物語だ。
これからの人生は過去の反省を生かして、
今を楽しみながら、ゆっくりと歩んでいこうと思います。
今回の飯は高校時代にも行っていた老舗。
伊勢の三大ソウルフードのひとつ。
「まんぷく食堂」のからあげ丼です。
もう有名過ぎるので敢えて説明はしません。
店の雰囲気も庶民的で面白いですよ。
久しぶりに妻と行ったら、高校時代の思い出が蘇りました。
時が止まっている店って感じで感動しました。
こういうので過去を思い出すのも良いですね。
宇治山田駅周辺に来たら寄ってみて下さい。