大学受験からの続きだ。
2年間の自由時間が終わろうとしていた。
最後の大学受験を終えた後、少し進路について考えた。
もし国立大学のAかBに受かっていたら迷わず行っていただろう。
でも高い学費を払って、私立大学Cに行って何になる?
それならバイク整備士の資格が取れる専門学校に行こうと思った。
土壇場で急ハンドルを切った。
願書を出したのは締め切り1日前だったか、有効期限当日の消印だったか、
とにかくギリギリで滑り込みセーフだった。
入学試験の事は何も考えていなかった。
受験勉強してたからか、これテストなの?ってくらい簡単だった気がする。
まぁ、大学じゃないから当たり前か。
無事合格し、入学式には全校生徒の前で入学生代表の答辞を読んだ。
当日急に呼び出され、コレ読んで!みたいな感じで驚いた。
そこから人生が変わった気がする。
周りから頼られることが多くなったのだ。
ちょっと偏見も入るし、失礼になるかもしれないが、
当時、整備士になる人間は工業出身のヤンキー系も多く、
勉強が苦手な人間が多かった。
たまたま前の席の生徒Mが地元が同じで、僕の母校を知っている人間だったので
僕は腐っても進学校などと言われ、クラスメイトがよく理系問題を聞きに来た。
当時は何も考えてなかったが、大勢に頼られて逆に支えられていたのかもしれない。
課題は教科書を一字一句抜かさず、ページ丸写しとかが多かった。
効率が悪すぎて意味ないと思ったが、
やる気がない生徒を合格させるためか、単なるふるい落としなのか、
国家試験前には大半が合格レベルまでにはなっていた。
当時の国家試験は過去問を丸暗記でほぼ対策できたのだ。
実技試験は実習をちゃんと受けていれば難しくはなかった。
実習中の態度で、本気で学びたい人間かどうかがよく分かったのが面白かった。
専門学校の授業は進学高校に比べれば楽なものだった。
だから僕は色々と怠けてしまった部分もある・・・。
卒業時には運輸大臣賞を受賞予定だったらしいが、
居眠り、遅刻、欠席が多いため、他の人になったと聞かされた。(笑)
わざわざ知らされなければ、スッキリ卒業できたのに・・・とも思ったが、
おそらく「世の中、成績だけが全てではない」と教えてくれたのだろう。
就職活動にも色々あった。
入学当初の目的はバイクの整備士資格を取る事で、当然そっちに行くつもりだった。
でも今後の人生を考えると、バイクは趣味の乗り物だからみんなが乗るわけではない。
仕事にするなら利用者の多い車の方が仕事もなくならないし良いだろうと考えたのだ。
ではどこにするか?
T車系なら潰れる心配もなく一番安心ではないかと思い、第一志望にした。
しかし頼んだはずの入社試験の願書が一向に届かない。
認知症の祖母の押し入れから出てきた頃には、すでに締め切りを過ぎていた。
仕方なく給料の高かったA社とB社を受け、両方内定をもらう事ができた。
どっちにしようか?
決め手は前の席の生徒Mの一言だった。
「見学会行ったけど働きやすそうな雰囲気やったで~」
それに釣られ説明会に行ってみると、人事担当の方が
「ここに名前とハンコをお願い!」って必死に頭を下げるから
何も考えずそれじゃあ・・・って、それだけだったと思う。
そして地獄の?サラリーマン生活が始まったのである。
次へ続く・・・
今日のお写真は伊勢市小俣町の「鰻のにしやま」のお持ち帰り弁当。
我が家はいつも何かイベントで鰻を食べる時はいつもコレです。
地域の行事などでもよく食べてました。
鰻が美味しいのはもちろん、このタレの甘さ加減が絶妙で好きなんです。
弁当はボリューム満点でお腹いっぱいになります。
店舗で食べた方が雰囲気も楽しめていいと思います。
お勧めのお店です。